忙しい人のための「アドラー幸福論」 『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』まとめてみた!
「忙しくて本を読んでいる時間なんてない!!」
「一度読んだけど忘れた……。もう一度、簡単に振り返りたい!!」
忙しい人のために、アドラー哲学『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』をサラッとまとめてみました!!
目次
基本情報
タイトル 『嫌われる勇気』・『幸せになる勇気』
著者 岸見一郎・古賀史健
出版社 ダイヤモンド社
発行日 2013/12/13・2016/2/26
駆け足になるので少々味気なくなりますが、では早速みていきましょう!!
アドラー心理学って?
まず、アドラー哲学とはそもそも何だったのか、前提部分から確認しましょう。
アドラー哲学とは一言でいうと、「幸せになるための哲学」です。
数ある哲学のうちでも、その奇抜な点は
「誰でも、いまこの瞬間から幸せになることができる」
と謳っている点にあります。
また、「すべての不幸の原因は対人関係にある」として、名誉や財産を幸せの要因から排除している点も極めてユニークです。
そんな訳で、アドラー哲学を手にとる方には、少なからず現状に、不幸とまでいかなくとも不満を感じている人が多いはずでしょう。
そのような状態から、一体どうすれば、この瞬間から幸せになることができるのでしょうか?
幸せになる3ステップ
アドラー哲学では、およそ以下の「3つのプロセス」を経ることを通じて幸福を目指します。
各プロセスの「キーワード」も示しておきました。
① 対人関係の入り口【不幸からの脱却】
〜「原因論」と「目的論」〜
② 対人関係の中間点【不幸から幸福へ】
〜「課題の分離」・「承認欲求の否定」・「嫌われる勇気」〜
③ 対人関係のゴール【幸福の追求】
〜「自己受容・他者信頼・他者貢献」・「いまこの瞬間をダンスするように生きる」〜
さて、各プロセスについてザッと振り返っていきましょう!!
① 対人関係の入り口【不幸からの脱却】
1つめのステップでカギとなるのは、「原因論」の考え方を捨てて、「目的論」の考え方を手に入れることです。
そもそも、「原因論」と「目的論」とは一体何だったでしょうか?
「原因論」と「目的論」
一言でいうと、「動機づけ」に関する理論です。
たとえば、赤面症の少女が「人前で話したくない」と感じるのはどうしてでしょうか?
常識的に考えると、それは
「赤面してしまうから」
「赤面する顔をみんなに見られたくないから」
でしょう。
「自分は赤面症だ」という自覚や、あるいは過去に人前で恥ずかしい思いをしたことがトラウマとなって、
少女に人前を避けさせるのです。
すなわち、赤面症を「原因」として考えるのです。
この原因論的な考え方には、一見したところ、何の矛盾点もないように思われます。
至極当然な考え方といえるでしょう。
その一方で、目的論的な考え方によると、少女が人前を避ける理由は
「自分は赤面症という症状を必要としており、人前では断じて話さない」と決心しているから
になります。
こちらの方こそ、かなり常識からはずれているように聞こえますよね。
赤面症の少女は、「赤面さえしなければ、私だってみんなの前で話せるのに」
と悔しい思いをしているに違いありません。
しかし、よくよく考えてみてください。
「赤面症でないからといって、皆が人前でスラスラと話せるか」といえば、決してそうではないことに気が付きます。
別に赤面症なんて抱えていなくたって、人前で話すことを得意としている人は少ないでしょう。
赤面症でなくても人前を嫌う人はたくさんいます。
わたしは赤面症だから → 人前では話せない
と、「原因論」で考えている以上、一歩も外に踏み出せません。
しかし、
人前で話したくない → 人前で話さない
と、「目的論」にそって考えた場合、「人前で話すかどうか」のカードは、つねにあなたが握っていることになります。
必ずしもこれだけで、万事解決とはいきませんが、気持ちがラクになることはいうまでもありません。
ですから、「赤面症だから、赤面症だから」とくり返してきた人は、
もう一度、「ホントに人前で話しいのか?」と、自分に問い直す必要があるでしょう。
不幸な人は「原因論」の住人
卑近な例として、「赤面症」をあげましたが、
これはすべての不幸についていえることなのではないでしょうか?
「わたしはどうせ不幸だから」「あなたは幸せそうでいいねえ、わたしなんて……」
と、友人の幸福な話に、まるで水をさすかのように「不幸自慢」をしてきた人。
あなたは本当に「幸福」になりたいのでしょうか?
たしかに、「不幸だから」と予防線を張っておくことで、必要以上にヘコまなくても済んだかもしれません。
しかし、そう言いつづけている間に、いつのまにか「不幸であること」が目的になってしまっていませんか?
わたしは本当に幸せになりたいのか?
それをいま一度、自分に問いかけなおしてみてください。
さて、こうしてあなたが、いま不幸だと感じるのは、「あなた自身が不幸を選んでいたから」だということがわかりました。
だとすれば、幸福になるためにはどうすればいいのでしょうか?
それはひとえに、「幸福を望む」ことです。
ここからが、2つめのプロセス「対人関係の中間点」です。
② 対人関係の中間点【不幸から幸福へ】
幸福を目指すうえで、まず「幸福とは何なのか?」について確認しておきましょう。
「幸福」の定義
これは論点先取りにはなりますが、アドラー心理学における幸福とは、
自分の「やりたいこと」をやる
そして、その「やりたいこと」でみんなに貢献にする、です。
このくらいの定義だったら、そこらの幸福論となんら変わりません。
しかし、アドラー心理学がユニークな点は、
「やりたいこと」は、高尚なことでなくてもかまわない、ということです。
極端にいってしまえば、「素敵な人と結ばれたい」や「ハワイに旅行に行きたい」でもいいのです。
俗っぽいことから「将来の夢」まで、とにかく「やりたいこと」をやって、なおかつみんなまで幸せにできるのであれば、これに勝る幸福はないでしょう。
「課題の分離」
さて、幸福をめざす第一歩は、「課題の分離」です。
「課題の分離」とは、平易にいってしまうと、
ひとはひと。自分は自分。
ひとの課題に自分は介入する必要がないし、自分の課題に人を介入させてはいけない、です。
これは一見すると、「やりたいこと」はできているかもしれないけど、みんなに「貢献」はできていないかもしれません。
ものすごく独りよがりな考え方です。
しかし、二兎を追うもの一兎も得ず。
「やりたいこと」と「貢献」を同時に追求するから、結局はどっちも得られなくなってしまうのです。
そこで、「貢献」については、3つめのステップに譲ります。
まずは、あなた自身の「やりたいこと」について考えましょう。
自分の課題に、ほかの人を介入させると、幸せになれない
どういうことでしょうか?
たとえば、そろそろ卒業をむかえる大学3回生を考えてみましょう。
彼の将来の夢は「もの書き」になることです。
夢について、友達に軽い感じで打ちあけてみると
「なれっこないじゃん」と鼻で笑われます。
同級生は続々と就活の準備を始めます。SNS上にみんなの一喜一憂が飛び交うことでしょう。
両親は、すこしでも大きな企業で安定した生活をおくってほしいと期待します。
彼は不安で仕方がありません。
「ホントにもの書きで食っていけるのか……?」
ついに彼は、重たい腰を上げて、みんなと同じように就活にのぞみます。
大きな企業に入れるかもしれません。
なにかの縁があって、「もの書き」になれるかもしれませんし、なれないかもしれません。
いずれにしても、彼は学生時代にチャレンジはしませんでした。
65歳になり定年をむかえます。チャレンジしなかった彼はどんな気持ちで会社を後にするでしょうか?
「こんなはずじゃなかった」そう思うかもしれません。
しかし、それはひとえに、自分の課題に、友人・同級生・両親を介入させてしまった彼の責任なのです。
「他人の課題に介入してしまった人」についても同じです。
子どもを育てあげた専業主婦が生きがいを失い、「夫と子に捧げただけの人生だった」と口にします。
世の中のせい、男性社会のせい、もあるでしょう。
しかし、結婚したいと願ったのは誰ですか?
「嫌われる勇気」
このようなことをふまえると、幸せになる第一歩は、「課題の分離」なのです。
そして、「課題の分離」を推進するために必要になるもの
それこそが「嫌われる勇気」です。
「嫌われにいけ」といっているわけではありません。
「人から嫌われることを恐れるな」ということです。
あなたを幸せにしてくれる人は、あなたしかいません。
人の期待にいつまでもかまっていたら、人生あっという間に過ぎてしまうよ
そういうことです。
③ 対人関係のゴール【幸福の追求】
ただ、「課題の分離」だけしていると、「自分さえよければいい」という迷惑な人間になりかねません。
どうせなら、人の役にも立ちたいものです。
「課題の分離」から、どのようにして「貢献」へと向かうのでしょうか?
「自己受容・他者信頼・他者貢献」
また論点を先取りしていうと、アドラー心理学では、
必ずしも「貢献」でなくても、「貢献感」であればいい、と説かれています。
「貢献感」というのは、
「自分自身の行いが、なにかしらに貢献している」
と、自分自身で感じられたらそれでいい、というものです。
その行為がじっさいに相手にとって「貢献」となっているかどうかは問わないのです。
だからといって、「じゃあ勝手気ままにふるまっていいのか」といわれると、
もちろん、そうではありません。
「自己受容」し、「他者信頼」して、「他者貢献」せよ、とアドラーは説きます。
「自己受容」
「自己受容」とは、一言でいうと、「肯定的なあきらめ」のことです。
「変えられることができないものについてはあきらめ、変えることができるものに目を向けよ」
ということです。
「過去に踏み出せなかったわたし」や「なんであんなこと言ってしまったんだろう」
は、今になってもはやどうすることもできません。
「これからどうするのか?」
に目を向けなさい、ということです。
「他者信頼」
「他者信頼」とは、言葉のとおり、「他者を信頼すること」です。
ここで注意したいのは、「信用」との違いについて。
「信用」とは、
相手を信じるにあたって、条件をつけること
をいいます。
たとえば、お金がたくさんある人は、ブラックカードで買い物することができます。
「この人だったら、ちゃんと返済してくれる」という「信用」があるからです。
一方、お金がない人は、最悪の場合、カードを作ることさえできません。
それはひとえに「信用」がないからです。
このように、ビジネスの世界では、「信用」をもとに人が交流します。
逆に「信頼」とは、
「いっさいの条件をつけないこと」です。
あなたには好きな人がいるとします。
だったら、あなたのすることはただひとつ。その人を愛することです。
相手もあなたを愛するかどうかはわかりません。
でも、あなたは相手を愛します。「条件をつけない」とはそういうことです。
「他者貢献」
要するに「与えよ」ということです。
くどいようですが、相手もあなたに「与える」かどうかはわかりません。
でも、あなたは「与え」続けます。
なぜなら、「与える」ことは、あなたの課題だからです。
「返してもらえるかどうか」は、ひとえに相手の課題であって、あなたの課題ではありません。
「いまこの瞬間をダンスするように生きる」
なんだかものすごく難しいように聞こえますが、
では具体的にどうすれば、「貢献感」のある「与える」をすることができるのか?
それは、「いま、ここ」に強烈なスポットライトをあてて、
ダンスするように生きる
人生を、「直線的な成長」ととらえるのではなく、
「連続する刹那」として、一瞬一瞬を、激しく一生懸命に生きる
ということです。
「なんのために生きているのか」に「意味」はないそうです。
しかし、あなたは「なんのために生きるのか」に「意味」を与えることはできます。
「無意味な人生」に「意味」を与えるのは、ほかでもない「あなた」です。
時に迷ってしまうこともあります。悩むこともあるでしょう。
ただ、「他者に貢献したい」という「導きの星」が、
あなたの「いま、ここ」を常に照らしてくていてくれるのです。
CODY
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